Aug 08, 2009

PCとwebデザイナー

PCの性能も向上され、今まで以上にインターネットのサイトに表示される速度も上昇し、様々なコンテンツの再生も可能になりました。そうなれば、サイトのデザインの幅も広々ですよね。 webデザイナーの存在がより一層大きな意味を持つ時代です。 PCの高性能化が進んだことで、webデザイナーがより重要です。
Web制作業務の募集案件を見ました。技術とセンスが必要となりそうなので、私は、困難ですが、なんだか楽しそうだなと思いました。家庭でも、Web制作ができるため、主婦など外で働くことができないのが非常に良いことだと思いました。今は自分でHPを持っている人やブログを書いている人は多いので、その技術と経験を生かしたことがあるのではないでしょうか。
 トップでゴールしようとするアンドレ・ロッテラー(ペトロナスTOM’Sトヨタ)に向けて、チームが示したサインボードには「Champion」の文字が浮かんでいた。仲間たちの祝福を受けた新王者は、コックピットの中で小さく左手を挙げて挨拶。クールダウン周回を終えてマシンを降りると、今度はマシン上で派手なガッツポーズを見せ、祝福に答えた。

 6日に栃木・ツインリンクもてぎで行われた全日本選手権フォーミュラ・ニッポン今季最終戦。その、2レース制で行われた決勝の第1レースでのことだった。

 Fニッポン参戦9年目で初めてドライバー王座を獲得したロッテラー。「ポイントのことは、あまり考えてなかったんで、ボードを見て『あれ、そうなんだ』と思った。チャンピオンになったと思うと、(クールダウンの周回は)とてもいい気分だった」。念願がかなった瞬間を振り返った。

 ■圧倒的な強さ

 今季はシーズン当初から例年以上の強さを示していた。東日本大震災で日程がずれ、5月に行われた開幕戦(鈴鹿)では、予選6位から好スタートを決めて見事に優勝。6月の第2戦(オートポリス)はルマン24時間参戦のため欠場したが、7月の第3戦(富士)は2番手発進からピット作業で昨季覇者のJ.P.オリベイラ(ブラジル=IMPULトヨタ)を逆転し、2勝目。8月の第4戦(もてぎ)はオリベイラに先行されて2位に終わったものの、この時点でチームメートの中嶋一貴にポイントで追いつき、優勝回数で上回ってランク首位に浮上した。

 9月の第6戦(SUGO)でも2番手発進から決勝を制し、中嶋との差を4点と広げていた。

 迎えた最終第7戦。5日の予選では決勝2レース両方のポールポジション(PP)を獲得し、ライバルたちに速さを見せつけた。実は、これがロッテラーにとっては7年ぶりのPP。常に速さを発揮していながら手が届かず、「何かののろい」と自嘲気味に話すこともあったが、ついにジンクスを打ち破った。

 Fニッポンではポールポジションで選手権ポイントを1点得られるため、この時点で中嶋との差は6点に。決勝の第1レースは、予選3位の中嶋に先行したままゴールすれば、ほぼ確実に王座が手に入るという有利な状況で臨み、全く危なげなくトップを守ってゴールした。

 王座を確定させた後、雨の中で行われた第2レースでも優勝。終わってみれば今季の6戦7レース(第5戦・鈴鹿は台風のため中止)、ロッテラーにすれば出場した5戦6レースで5勝を挙げる、圧倒的な強さだった。

 「最高の気分だ。日本に来てからずっと、(Fニッポンの王座は)目標だったからね」

 ■チームの成長促す

 10代でF1ジャガー・チームのテストドライバーを務めるなど、来日当初から速さは誰もが認めていた。PPを取れない時期が続いたが、その間も、きっちり優勝回数は積み重ね、強さも見せていた。スーパーGTでは2006、09年の2度、GT500クラスで王座を獲得しており、むしろこれまでFニッポンで王者になれていなかったことの方が驚きだ。

 昨年までとは何かが違ったのだろうか。そうたずねると、ロッテラーは答えた。

 「もちろん、経験を積み重ねて、僕が今、キャリアのピークにいるとはいえると思うよ。でも、何より今年はすべてがそろったんだと思う」

 03年の来日から3年間は、中嶋悟氏が率いるナカジマ・チームで過ごした。「そこでいろんなことを学び、日本に慣れた」。06年に移籍したTOM’Sは、F3で世界トップに君臨する名門チームだが、Fニッポンには進出したばかり。「時間をかけて優勝できるチームを作ろう」と、エンジニアやメカニックらスタッフと信頼関係を築くことから始めた。

 「チームのミスで負けると、スタッフに当たるわけではないが、すごく悔しがる。それを見たスタッフが襟を正す。お互い真剣にやりとりする中でチームが成長した」と振り返るのは舘信秀監督だ。

 専門のトレーナーと契約して厳しいフィジカルトレーニングを自らに課すなど、プロとしてベストの体調を作る努力を惜しまない。「暇があれば自転車で富士山に登りに行ってますよ。根っからのアスリートで自分に鞭を打っているから、日本人ドライバーには負けないという自信があるようです」と舘監督。

 速い車さえ用意すればいつでも勝てるというドライバーに対する信頼はスタッフのモチベーションとなり、チームの総合力を押し上げた。第3戦ではピットストップでスタッフが一つのミスもなく、素早い作業で送り出してくれたことが、逆転勝利につながっている。「1年を通して完璧な仕事をしてくれた」とロッテラーは感謝した。

 ■新たな道へ?

 6月の第2戦を欠場し、アウディ・チーム・ヨーストから出場したルマン24時間では、元Fニッポン覇者でスーパーGTに出場するブノワ・トレルイエ(フランス)らとともに総合優勝を果たし、日本のレースのレベルがいかに高いかを世界に示してきた。

 10月のF1日本GPの際には、欧州から来た報道陣に「僕がFニッポンで乗っている車なら、F1の下位より速い」と発言。日本のレース関係者にとっては周知の事実なのだが、ルマン優勝者であるロッテラーが発言したことで、欧州に驚きをもって報じられる結果となった。「ルマンで優勝したことで、僕のレーサーとしてのキャリアは変わったと思う」

 世界のレース界は来年、新たな局面を迎える。ルマン24時間を主催するフランス西部自動車クラブ(ACO)と国際自動車連盟(FIA)の協力で、ルマン24時間スタイルの新シリーズ、世界耐久選手権(WEC)がスタートするのだ。当然、ルマン覇者のアウディは強力な参戦予定メーカーであり、ロッテラーはその有力なドライバー候補だ。「まだなにも決まっていないけど、アウディが3台体制なら、僕が出場する選択肢もあるのかな」

 日本では、スーパーGTでもFニッポンでも王座を獲得し、「目標をすべて達成できた」。ちょうどその前に現れたのが、WECという新たなフィールドだ。F1の夢に破れ、日本に来たロッテラーにすれば、久々に訪れた、世界を舞台に戦えるチャンスである。

 「日本でレースできるのは本当に楽しいし、光栄に思っている。チームのスタッフのことは第2の家族のように感じている」。それだけに「楽しい時間にはいつか終わりが来るものだ。それは分かっているんだけど、それを考えるとすごく悲しくなる」と複雑な表情を見せる。

 30歳で迎えるシーズンを、再び日本で戦うのか、それとも世界へ羽ばたくのか。「悩むことになるね。慎重に考えないと」。どちらにせよ、日本を愛する好漢には悔いのない選択をしてほしい。許されない医師(12):転職☆があると聞きましたが本当でしょうか?(只木信昭)

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