Mar 30, 2009
疣はチャームポイント
主人は、顔に多くの点があります。その中でも、両方のまぶたずつ直線で結んだ間に鼻の縦のラインに一つ点が特徴的です。私は発見した時とてもおもしろくて落書きをしたが、主人で見ると、非常にコンプレックスだったあって本気で怒っています。その後、主人がその話題を振ることはないが、私から見ればチャームポイントにしてしまえばいいなといつも思っています。他人と自分が感じるコンプレックスという別のものですよね。年齢を重ねると出てくるのがシミやシワがあります。このシミやシワが本当に必要ないのだ。老けて見える原因となると、鏡を見ることはないされてしまうこともあるのだ。なかなかこのような状況にならないと気がつかないのだが、若い頃の管理次第でいくらでも変わる。そのために今からでも意識して若さを維持しよう。
◇私たちは蛇を踏む−−県立岐阜高校2年・深見瑞季さん
「ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった。」
こんな唐突な書き出しで始まる小説に、私はすぐに魅了されてしまった。その蛇は、「踏まれたので仕方ありません」と言って、女になる。不思議であるとも不思議でないとも言える曖昧な感覚に取りつかれたまま、この本を読み進めることになった。
「踏まれたので仕方ありません」そう言って、女は蛇を踏んだ女性、サナダさんの家に住み着く。どうやら女はサナダさんのことが全部分かるらしく、「ヒワ子ちゃんは何かに裏切られたことはある?」と、心の奥にあるものを考えさせたり、「ヒワ子ちゃん、蛇の世界はあたたかいわよ」と、蛇の世界に誘ったりする。それに対してサナダさんは抵抗するが、一方では半ばみずからも蛇と化し蛇になることの心地よさを味わったりしている。
物語は不思議だらけなのだが、単に奇妙な面白さのためにこの本の深みに陥ったのではない。物語の世界は現実には有り得ないことで満ち満ちているのだが、私はそこに自分の中にもある「何か」を感じたのだ。では、その「何か」とは一体何なのか、この物語の魅力につながる「何か」を考えてみようと思う。
まず、主人公のサナダさんは、私に似ている。サナダさんは女から、「ヒワ子ちゃんはいつもそうやって知らないふりをするのね。」と鋭いことを言われる。この台詞を読んだ瞬間、この言葉は私に向けられているように感じた。私は、「来る者は拒まず、去る者は追わず」という姿勢で友人関係に当たっている。この本を読むまで、人を無理矢理引き入れたり未練がましく引き止めたりしないこのスタンスは、潔くて、自分の強さの一部だと思っていた。しかし考えてみたところ、この姿勢は自分の弱さを表していた。というのも、私は知らないふりをしていたのだ。来てほしい人を掴まえに行ったり、去ってほしくない人を必死にひきとめたりすると、自分が傷つく可能性がある。だから、私は人に執着しないのだ。そんな自分の弱さを心のどこかで感じながらも、知らないふりをして高校生活を過ごしている私は、サナダさん自身なのである。ただでさえ自分の弱さを認めたくなくて知らないふりをしているのに、それを見通されることは非常に怖かったり不快であったりする。だが、この物語では、女がそれを見抜いてしまう。サナダさんはそれを怖いと感じる一方で、心地よいとも思っている。その気持ちが、私にはよく分かる。なぜなら、自分の抱える全ての痛みを見通してしまう人がいれば、私はその人に依存することができるからだ。何も言わなくても分かってくれる人がいることは、孤独を共有しているように思えて安心できる。サナダさんも、きっと同じことを感じていたのではないだろうか。だから、蛇である女を受け入れ、その女を必要としてしまうのだろう。
その女が誘う蛇の世界とは、「暖かくてぜんぜんあたしと違ったところがなくて深く沈んで眠っていられるようなところ」だそうだ。眠るということは、周りにある全てのものを見なくて済むということを指す。何も感じないし考えない、無意識の状態だ。つまり、蛇の世界とは、周りの人と対抗や妥協を繰り返しながらその人に近づこうとしなくてよい世界のことを示すのだろう。サナダさんは、そういう世界に行って自分の全てを周りの流れに委ね、全て知らないふりをしたいと思っている。その反面、周りにどっぷり依存したいという自分の弱さに屈してはならないという気持ちもある。この二つの思いが混在しているような気持ちは、「知らないふり」をしている人なら誰でも常に、持っている感情なのではないだろうか。
そんな気持ちがぐるぐると駆け巡っている中、女とサナダさんの首の締めあいが始まった。そして、サナダさんは言うのである。「蛇の世界なんてないのよ」と。この瞬間サナダさんは、今までどっちつかずで引き延ばしてきた思いに区切りをつけた。知らないふりをしていたことをそうでないものにしたのだ。だが、この物語はここでは終わらない。女は「ほんとかしら」「そんなかんたんなことかしら」と笑って、また首を締め始めるのである。
目も開けていられぬほど明るい輝きの中、二人は互いに首を激しく締めあいながら、ものすごい速さで流されてゆくというシーンでこの物語は終わりを迎える。サナダさんは「いちじに結末をつけよう」と答えを出したはずなのに、結局、あがき続けるのである。そこには、私たちが現実の世界で直面している嫌になるくらいのきりのなさや、理屈や道徳で簡単に割り切ることのできない感情が描かれているように思う。ひどく現実離れしたように見えるこの小説が、実は私たちのリアルな現実や感情の側面を感じさせるのである。(「蛇を踏む」文藝春秋)=つづく
3月6日朝刊
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